プレハブ協会

プレハブ建築について

プレハブ建築の歴史(海外)

プレハブ建築のはじまりはヨーロッパの植民地から

「建物の部品を集め、複合した部材にまとめて運び、短時間に組み立てる」という観点で見ると、近代的なプレファブリケーションのルーツは、植民地時代のヨーロッパまで遡ります。

近年の研究(Gilbert Herbert : Pioneers of Pre-fabrication)によると、18世紀末頃からヨーロッパの本国から応急的な建築を設え、植民地へ運ぶ方式が始まったとされています。病院・集会所・行政官の住宅などを植民地で建設するため、プレカットされた木製軸組部材や木製パネルを本国で製作し、これを現地に運ぶという仕組みから始まり、19世紀初めには、入植民の居住用住宅が既製品として販売されています(植民地向組立住宅)。その後、ヨーロッパの多くの国がそれぞれの植民地に様々なプレハブ建築を送りだすこととなりました。

波形鉄板の発明から誕生した『鉄骨系プレハブ建築』

19世紀初めに新しい材料として波形鉄板が発明されると、建築の柱や梁にも利用されるようになりました。そうした中で、構造体に大々的に鉄を用い、意識的にプレファブリケーションの手法を導入したのが「クリスタル・パレス(水晶宮)」です。クリスタル・パレスは、1851年大英帝国の万国博覧会の際に造園家であるジョセフ・パクストン(Joseph Paxton)によって設計され、以下のような特徴から、まさに今日のプレハブ技術につながるものとして考えられています。

  • 1.基準モジュールを用いたプランニング

  • 2.部品の標準化と専用機械を用いたプレハブ化、マスプロダクション(大量生産)化

  • 3.ボルトを用いた取り外しも可能な乾式組立

  • 4.使用箇所を選ばない部品の互換性

  • 5.早い工期

  • 6.構造体と外装の分離、軽い外装

  • 7.現場作業の機械化

この特徴が住宅の分野で具体化されたのは、1910年代にドイツの建築家ワルター・グロピウス(Walter Gropius)が提案した乾式組立構造(トロッケン・モンタージュ・バウ)で、1927年には住宅展示会で試作住宅を展示しています。のちに、この構造が日本の建築雑誌でしばしば紹介され、日本のプレハブ住宅建築に大きな影響を与えたとされています。

その後の日本におけるプレハブ建築の歴史はこちら

煉瓦の大型化から誕生した『コンクリート系プレハブ建築』

煉瓦造を在来構法としていたヨーロッパでは、1950年代に入り、中空煉瓦や軽量コンクリートなどの軽い材料によって、同じ重さで煉瓦より大きな部材がつくれるようになると、これまで“片手で持てる”サイズに制限されていた煉瓦の大きさは、2人で持てる範囲にまで拡大され、ユニットの大きさは急激に大きくなりました。

また、揚重機械の導入により現地で積む煉瓦造から工場で積んでから運ぶ煉瓦造へと変わり、工場での加工方法も、現場と同様にして積む方法から寝かせて打設する方法へと変わっていきました。そして、ついに煉瓦の代わりにコンクリートが使用されるようになり、コンクリートの大型パネルへと発展していくこととなりました。

部品の大型化~平面から立体へ~

大型仮枠

ヨーロッパでは、1970年代になると、ルームサイズの大型仮枠を用いた方法は盛んに実用化され、1970年後半には住宅生産の約8割が大型仮枠になったといわれています。

この大型仮枠の考えは、1910年のトーマス・エジソンの発明の1つで、2階建の住宅の鋳型をつくり、上部からコンクリートを流し込めば、一挙に家ができるという構想で、鋳型の繰り返し使用で量産も可能であるというものでした。(Matthew Josephson : Edison A Biography)

型枠の大部分はルームサイズの平板であるものの、対向する壁と天井を一体化したトンネル型の型枠を使用するシステムも登場し、これらの大型仮枠は、日本でも『トンネル工法』と呼ばれ、実用化されました。

立体ユニット

大型パネル、大型仮枠の次のステップとして、ソ連と西ヨーロッパで立体ユニットが開発され、ウクライナでは大がかりな脱型の方式、スウェーデン・スイスでは壁や床が二重にならない方式など、様々な工夫をこらしたものが登場しました。また、大型パネルシステムの一部にサニタリーユニットとして利用された例もありました。日本では、住宅用としては数例にとどまるものの、サニタリーユニットなどの小さなものは実用化されました。

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