プレハブ建築について

プレハブ建築の歴史(国内)

日本におけるプレハブ建築のはじまり

昭和初期に、ドイツのグロピウス(Walter Gropius)が提案した乾式組立構造(トロッケン・モンタージュ・バウ)が日本にも紹介されたことをうけて、日本の建築家による研究が発表され、自ら設計した住宅への実践例も発表されました。この乾式工法が、現在の鉄骨系プレハブ建築のルーツといわれています。

こうした思想が実際に住宅へと展開し始めたのは、昭和16(1941)年、乾式工法の研究・実践を行った建築家の指導のもとで住宅営団が開発・試作を行った「木製パネル式組立住宅」です。これは戦後の住宅営団の木造組立住宅へと引き継がれていくこととなります。

木製パネル式組立住宅の建設工程

木製パネル式組立住宅の建設工程

また、乾式工法の研究を行った別の建築家は、日本の建築の不燃化を訴え、組立式鉄筋コンクリートの研究を開始しました。これは戦後のPC(プレキャストコンクリート)建築へと継承されていくこととなります。

戦後復興の中で誕生した『木質系プレハブ建築』

戦後の深刻な住宅不足の中で、高品質な規格住宅の大量生産を目指して、昭和21(1946)年に「工場生産住宅協会」が発足しました。生産された住宅は木材を用いたもので、構法は以下の3種類に大別されます。

  • ① 軸組式:工場で部材をプレカットし、その他は現場にて作業を行うもの
  • ② パネル式:戦前の住宅営団組立住宅と同様、工場生産されたパネルで構成するもの
  • ③ 軸組パネル併用式:プレカット材による軸組に既成のパネルを張るもの

戦後の都市不燃化から誕生した『コンクリート系プレハブ建築』

戦後復興の最も重要な目標として、深刻な住宅不足の解消とともに都市の不燃化が挙げられたことと同時に、戦時中の軍需のために木材が乱伐されたこともあり、不燃組立建築として簡易コンクリートの研究開発が開始されました。昭和22(1947)年には、戦災復興院が学会、業界の協力を得て「簡易コンクリート造住宅基準」を作成し、戦災復興のためにできる限り少ない資材と労力で大量・急速に供給できることを目標とした耐火耐震建築を発表しました。当時の分類によると、以下の4種に大別されます。

  • ① 打込式:現場打ちコンクリートを簡略化したもの
  • ② 組積式:煉瓦、ブロックなど
  • ③ 組立式:柱梁を組み立てるもの
  • ④ 併用式:①、②、③のうち2種以上を併用するもの

この③組立式は、戦前より研究が行われており、昭和23(1949)年に組立鉄筋コンクリート構造の試作第1棟が完成し、翌年に「プレコン」と名付けられました。プレコンは、基礎・柱・床・外壁などに全てPC(プレキャストコンクリート)部材を用い、これらをボルト締めで接合するものをいい、PC(プレキャストコンクリート)工法の幕開けといわれています。

戦後の都市不燃化から誕生した『コンクリート系プレハブ建築』

特需景気によって誕生した『鉄骨系プレハブ建築』

朝鮮戦争に伴う特需景気によって成長した日本の基幹工業である重化学工業が、その生産能力をもてあまし始めた昭和30(1955)年、重化学工業の中心であった製鋼業界において「日本軽量鉄骨建築協会」が設立され、軽量型鋼を小規模な建築物に用いる研究開発に着手しました。そして、構造体に軽量型鋼を用いた公営住宅、住宅、学校などの試作を通じて、その設計・施工技術の普及を行いました。これらの普及により、昭和30年代半ばからの企業による主要構造に軽量型鋼を用いた住宅販売へとつながりました。

特需景気によって誕生した『鉄骨系プレハブ建築』

台風からヒントを得て開発された『規格建築』

昭和25年(1950)年、瞬間最大風速43.2m/sを記録したジェーン台風が日本の関西及び四国地方を襲い、全壊・半壊併せて約12万戸の家屋が被害を受けました。この強風下においても折れることのなかった田の稲や竹林の竹にヒントを得て、中空の鋼管を木材に代わる建材として使用した建築物が考案され、昭和30(1955)年には「パイプハウス」が発売されました。

1960年代に入ると、主要構造部に軽量形鋼を使用した切妻タイプの組立ハウスが開発・販売され、建物にかかる水平力を建物の妻側、桁側方向とも全てブレースで負担する工法を取ることにより、主要構造部に断面の小さい軽量形鋼を採用することが可能になるなど、リース用建築物として事務所や移動教室、倉庫等の用途で各地に建設され、使用されるようになりました。

台風からヒントを得て開発された『規格建築』